鍼灸師の独立・開業
2018/4/1

卒業後に鍼灸院開業を目指す:パーソナルトレーナー編

卒業後に開業する人たちにはどんな人がいて、どんな鍼灸との出会いがあったのでしょうか。

鍼灸学校を卒業した後すぐに開業する人がいることも現実です。

鍼灸師は医療系国家資格のなかでも、独立開業が認められている数少ない資格です。

そのため入学する前から『将来の夢は開業』という人が多いこともこの職業の特徴であるといえます。

では、いったいどんな人が、開業を目指しているのでしょうか?

いま在学中のパーソナルトレーナーでもあるKさんの例をみてみましょう。

彼は現在42歳で、訪問スタイルのパーソナルトレーナーとして働きながら、都内の学校に通学しています。彼が鍼灸師を目指すうえで、これまで歩んできた道はなかなか濃いものでした。

怪我で全てを失った18歳

彼は高校時代に、サッカー部のエースとして活躍していました。そんな彼は大学への進学は、サッカー推薦を狙っていたと言います。そんなサッカーに人生をかけたKさんを高校三年生の夏、怪我が襲いました。

サッカーができなくなるほどの大怪我で、もちろん大学進学もサッカーで推薦されるはずもなく、サッカーを続ける夢と、大学進学という2つの夢を諦めざるを得ませんでした。そのときは、サッカーに3年というすべての時間を費やしてきたため、一般受験での大学進学は考えておらず、消去法で就職という道に進むのでした。

人生を変えるサーフィンとの出会い

こうしてKさんは、18歳で高校を卒業し、大手スーパーのスーツ販売部門へ就職をします。

しかし、すべてに自暴自棄になってしまっていた彼は、仕事への意欲が見つからずに1年ほどで退職してしまいます。この頃、以前から興味のあったサーフィンをはじめました。

当時は、仕事を転々とする1年でしたが、サーフィンは続けていたと言います。波と戯れる時間が、夢破れて傷ついた心を少しずつ癒してくれました。のちに、サーフィンを続けてきたことが、彼を鍼灸師へと導くということはまだ誰も知りません。

2年の空白を経て専門学校へ進学

18歳で就職するも1年で大手スーパーを退職し、その後1年はフリーターをしていたと、彼は言います。しかし、彼は大学へ行かなかった後悔と、将来のために何か資格を取得しようという、前向きな気持ちで20歳の時に自動車の専門学校へ入学します。

自動車の専門学校に通いながら、フィットネスショップのアルバイトを始めました。はじめはサーフィンのための体づくりと考えていたアルバイトでしたが、これがKさんにとってとてもやりがいのある仕事で、学校の勉強と同じくらい、体やリハビリの勉強をしたと言います。

その後、就職先が起こした歴史に残る大事件

彼は、在籍していた3年間フィットネスクラブのアルバイトを続けましたが、学校の卒業と同時に退職しました。彼は大手自動車メーカーに技術職として就職します。

しかし、その矢先この自動車メーカーが大きなリコール事件を起こします。技術職であったKさんは、毎日リコールの対応のために朝9時に出社し、深夜3時まで仕事とクレームに追われる日々を過ごします。日々の対応に追われているのは自分だけでなく、彼とはるか年の離れた上司も同じでした。来る日も来る日も土下座をさせられ、お客様からものを投げられるようなとても辛い日々を送ったと言います。

この時、彼はこの疲弊しきった上司の姿を見て、『自分の行先はこれか』と絶望したそうです。

自分の思い描く未来とかけ離れすぎた現実を変えるために、こうして26歳のKは給料の安定していた大手自動車メーカーを退職します。

そして、フィットネスクラブへ再就職

彼は、退職後仕事を見つけるまでに、時間はかかりませんでした。学生時代にしていたフィットネスクラブのアルバイトの日々が忘れられず、自分が一生続けられるような大好きな仕事はこれしかないと感じたそうです。

サーフィンがきっかけで始めたアルバイトでしたが、サーフィンとフィットネスという趣味が、彼に一生の仕事となるきっかけを与えました。実際、フィットネスクラブで働き出すと、とても楽しく、自ら進んで解剖学や運動学、リハビリの勉強や外部の講習会にも積極的に参加し、気づいた時にはその店舗でマネージャーになっていました。

Kさんには、サーフィンを続けていたことでお客さまと共通の話題があったこと、社会人経験があったおかげで会社員の日常的なストレスを考えてあげられること、そして、その人柄が人気となり、彼が担当する会員は300人に登りました。

この頃、彼が対応しなくてはいけない会員が増え続け、一人ひとりしっかりと向き合って時間を割くことが難しくなっていました。そんな状況下で、彼の心に1つの葛藤が生まれます。

『一人ひとり、人生のなかの不便は違うはずなのに、この状況では、一人ひとりのことを考えている時間すらない』

人には、その人の体や生活面での悩みがあって、その不便を解消してあげることが自分たちの仕事であると、Kは考えていました。膝が痛い人は膝が痛くなくなることが一番の幸せであり、結婚式までに痩せたいという人は結婚式までに痩せることが幸せであり、彼がいまやっていることは、本当に悩んでいる人のためにはならないのと考えました。こうした気持ちが強くなり、彼はジムの社長に直談判して、トレーニングジム内で、一人ひとりと向き合うことが可能なパーソナルトレーナーという、新たなサービスを開始します。

必要だった鍼灸師の国家資格

紆余曲折あり、なんとかパーソナルトレーナーとして成功し始めたのは、彼が30歳のときです。

ジム内でもパーソナルトレーナーという仕事がやっと浸透してきたころ、都道府県の各自治体から、健康促進のため地域でおこなう運動講習などの仕事が舞い込んでくるようになりました。

しかし、これが彼にとって高い壁だったのです。その地域の医師も共に監修するこの自治体の運動講習では、何の資格もない彼を運動オタクとしてしか見てくれず、全く相手にしてくれなかったそうです。このとき、運動に関わることができて、運動後のケアから精神的なサポートまで、できるような医療資格がとりたいと思い、鍼灸師を目指すのでした。

母の介護と死、人の幸せのあり方を問う

仕事も軌道に乗り、常に予約で埋まっているパーソナルトレーナーへと成長したKさん。彼は、フィットネスジムとの委託契約をやめ、ついに独立します。

これを機に鍼灸師を目指そうと思ったのは、Kが36歳のときです。入学願書も揃えていた頃、母の認知症が進み介護を余儀無くされ、彼の新たな挑戦は夢半ば、諦めざるを得なくなりました。

彼は母の介護を3年しましたが、母は他界しました。彼は、人の命の儚さ、健康であることが幸せの第一歩であることを改めて認識したと言います。

そして、自分の仕事のあり方というものに、もう一度向き合う時間ができました。

彼がやりたかったこと。それは一人でも多くの『人生の不便』を取り除いてあげること。

彼は、母の介護に入るため、一度諦めた鍼灸師になるという夢を叶えれば、もっとたくさんの人の体の不便の解消することができて、その人を健康に導けるはずだと考えました。

こうして現在41歳の彼は、鍼灸師を目指すため学校に入学します。

彼が目指す鍼灸師像やビジョンとは

いまでもフリーのパーソナルトレーナーとして活躍するKさんですが、現在は訪問専門でやっており、自身の店舗は持っていません。

卒業後は、真っ先にいま抱えているお客さまへ、鍼灸の魅力を広めたいそうです。そして、卒業後10年以内に、自分のスポーツジムを持ち、鍼灸×スポーツという観点により、体の悩みをいち早く解決できる環境を提供したいそうです。

そして、彼には誓いがあります。

『すべてを鍼灸だけで語るような鍼灸師にはならない』

鍼灸は、患者さんとの信頼が効果を左右するとも言えます。例えば、鍼でなくても解決できることがあるならば、そのとき彼が鍼灸師だとしても、鍼灸を無理に進めることはしたくないそうです。

また、患者さんの様子を見ながら、その症状が西洋医学で解決できるようなものであれば、医師としっかり連携を取りたいと考えています。

患者さんの健康を維持する方法の選択権は、いつも患者さんに委ねてあげたいと考えています。そして、彼は、自分自身も心身ともに健康でいて、命の炎が燃え尽きるまでは、患者さんの伴走者で居たいと考えています。

これが鍼灸師を目指すKさんの誓いであり、かつて思い描いていた夢の続きなのです。