当店からのご挨拶

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小川 通子

大分県豊後大野市出身。
現在、愛知県尾張旭市に在住。3歳の愛息子がいる。

6人兄弟の4番目、大分の田舎で育った。祖父は小説家(トービス星図)で、『離婚への道』『愛の路は寂し』で日本の小説家として認められた。他数々の小説を世に出し、戦災後、占星学を研究。現在の占星術界の先人となる。父は翻訳家で様々な本を翻訳、出版した。数々の難病を奇跡的に治すエピソードを持つ「奇跡の人エドガーケイシーの生涯」を1959年に出版、日本に初めてケイシーを紹介した。ケイシーが亡くなって半世紀たった今でも世界中の何百人もの医者が彼が述べた医療概念の正確さを今でも検証している。米国バージニア州エドガーケイシー財団にケイシーの医療記録が残っており、今日まで研究されている。母は父の縁で、ブラウンランドーン博士を知ることになる。博士は10代の時に心臓病で余命3か月と医師から診断されたが、その6年後には医師団を仰天させた。彼の健康法である蒸留水の飲用によって心臓は完治してしまった。その後98歳でこの世を去るまで医師として何万人の人を治療し、その風貌は50代にしか見えなかった。博士に魅せられた母は、ブラウンランドーン協会を立ち上げ、広める活動をしている。実家では様々な食事療法、健康法などを取り入れており、幼少期から両親と共に実践していた。

天才と周囲から言われた父であったがその反面、家庭内での暴力が激しかった。高校の頃には両親が離婚。そのきっかけで実家が極貧になったため、高校の奨学金を借りて食費をまかなった。卒業後はスーパーのレジ打ちや旅館などで働き実家の生活を助けた。

そんな中治療家である友人と知り合い、治療で人を癒す仕事の素晴らしさを知った。鍼灸、マッサージの仕事に興味を持ち、学校に入るために猛勉強、26歳に鍼灸マッサージ専門学校である中和医療専門学校に合格、入学した。学生時代は鍼灸の治す力に魅せられた。卒業を間近に控えたころ、首藤流、超浅刺に出会う。首藤氏は臨床歴50年、欧米、欧州、アジア等、日本を始め世界各地の鍼灸師に教えてきた。大分県鍼灸師会会長、日本伝統鍼灸学会会長などを務め、今日まで66万人以上の難病、治療をしてきている。春日井市に首藤氏の愛弟子である村田守弘氏を知ることができ、すぐにアポイントを取り治療を受ける。治療を受けた時の劇的な体の変化に感銘を受け、即弟子入りを懇願、村田氏に師事、首藤流について学ぶ。刺さない鍼で、大人から子供まで同じ鍼、痛みや痺れに苦しむ様々な患者を改善へと導く鍼に衝撃を受けた。技術とともに首藤氏が大切にしている伝教大使最澄の言葉「忘己利他(もうこりた)」の精神も学ぶ。

その後、首藤流を導入した往診業で独立をする。医療保険による往診業で、パーキンソン病、脳梗塞後遺症、脊髄小脳変性症、多系統萎縮症などの数々の難病症例を経験し、1万人以上の難病の施術を行う。多くの看取りも経験した。同時期柔道整復師である主人と結婚。後に男児を授かる。

そんな中、保険診療でできる範囲の限界、難病患者の生活の質の向上が鍼で他にできないものかと奔走中、上田式美容鍼灸に出会う。がん患者の最後まで綺麗でいたい、という想いを美容鍼灸が支え、綺麗になることで自信がつき、がん疾患でも気概を持って明るく生活ができた、というエピソードに深い感銘を受けた。(財)日本美容鍼灸マッサージ協会理事であり、日本だけでなくスペイン、台湾など全世界で指導をしている上田隆男氏に師事し、美容鍼灸を学ぶ。

美容鍼習得後は、主人が開院していたひょうたん鍼灸接骨院の中で美容鍼灸を始める。しわ、たるみ等に悩んでいる方に瞬間で改善させることはもちろん、難病治療の経験を活かし、美容鍼をきっかけにお越した方の様々な悩みにも対応している。子育ての経験と、難病治療の経験から、様々な相談を受けてもすぐに答えられると定評がある。地域の医療とも連携し、地域の笑顔づくりにも貢献している。また幼少期から実践してきた食事療法をさらに学び、食事療法の提案やライフスタイルの改善のアドバイスも行っている。

2021年9月9日より、名古屋市西区の店舗から尾張旭市へと移転オープン。